紙めくりて

本と文具好きのオタクがクリア冬のコスメで右往左往するブログ

2021.03.1~03.05 読了後の本感想

スポンサーリンク

読了後の本感想走り書き。

いち病理医の「リアル」(市原真)

病理医の日常や医療論、病理診断に付いて話すエッセイ。ツイッターで御馴染みのヤンデル先生の本。ブログのような砕けた文体で、非医療職でもイメージしやすい例えの話をしている。嫌いな人は嫌いなのだろうけど、小難しいだけの文章より伝えたい気持ちが見えて読みやすいと感じた。

私は、著者の「症状を知り、病気を探る 病理医ヤンデル先生が「わかりやすく」語る」を昔読んだことがある。昔……7年ぐらい前?仕事の合間に読んだ記憶がある。わかりやすい例えをする先生だな。ツイッター通りなんて変な先生だ。世の中にはこんな先生も居るんだな。と感心した覚えがある。看護師は維持のプロと言う例えは絶妙すぎて膝を叩いた。

本書は人を選ぶと思う。医師の下で働いている末端は一日ツイッターを開く暇もない。なのに、なんでこいつは仕事の合間にツイッターやってるんだとか。この本には何も学ぶものがないと感じる人も居ると思う。そういった意味では本書は賛否両論ある。

私の見解を述べるならば、ツイッターをやっている暇もないなんて嘘だ。それは優先順位の問題で開く気がないだけ。むしろ、自分を”末端”と表現していることの医療観を聞いてみたい。

本書には診断のため、原因を探るための論理的思考が出てくる。看護師も目の前の人にどんなケアが必要だろうかと考えるために本書のようなマップを書く(病態関連図やアセスメント構造図とかいう)要領のいい子はさらっと書くのだが、私はこれが苦手だった。だって無限に出てくる。到底綺麗な図になんてならない。何故みんなすらすら書けるのだろう?知らないことが無限にあって繋がりには論理性がない。教科書通りに書いてみても目の個人には到底噛み合わない。結局臨床に行って「こんなのじゃケアが出来ない」と怒られる。その場で思いつく限りの赤を入れて、徹夜でまた書き直す。多分実習中に何十枚も書いたと思う。単位の認定に必要だから残してあったが、全部卒業時にシュレッターにかけて捨てた。教授たちには「思い出になるよ。」「見返してモチベーションに繋がるよ」などと引き止められた気がするが、あの紙には当時の私の怨みが詰まっている。多分人一人ぐらい呪い殺せるだろう。私が手元に残しているのは、教育実習で児童たちから持った色紙だけだ。単純に厚くて機械を通らなかった。世辞しかなかったとしても捨てがたかったのもある。不思議なものだ。余談だった。

そこに問題が起きたとき、貴方は論理的な思考が出来ているだろうか。

不平不満や愚痴だけ吐いて、本当に物事の本質をつかめているだろうか。

私はYesといえない。だから、本書はとても参考になった。私は関連図や論理的思考を平面で見ていたが、実際は平面ではない。様々な階層があって、基礎と臨床が繋がっている。ははー、なるほど。と納得した。”もう、わけがわからん、こんなの” ”医療が複雑化するわけですよね。これだけの矢印を一人で抱えるなんて、無理です。だから分業して、皆で取り組むんですよね”と綴る本文に共感を覚えた。合理的なチーム医療の捉え方だ。人間も医療も万能ではないと理解している人の考え方だとも思う。

今振り返れば、私の関連図は思考の階層を間違えていたのだろうと思う。それではいくら思考してもケアには繋がらない。それを教えてくれれば、私の呪いも少しは軽くなっただろうに。

本書は期待しているような医療書ではないかもしれない。そもそも、これはある医師のリアルだ。そういった意味では前述の賛否両論には一定の納得感もある。

私は、とても懐かしい出会いをした気分になったし、10章のエッセイを読んで少し泣いた。

”病気で亡くなった方の無念は、タンポポの綿毛のように周囲に飛散する。医療がもっと進歩していれば、まだ生きていられたのだろうか。もっと早く見つかれば、もっと違う治療があれば、違う出会いがあれば、違う人生であったあらば、人間ひとりの命の痕に、無数の人間の悲しみと後悔の花が咲く。無念を癒す一番の薬は時間である。時間をつぶす一番の技術は考えることだ。考えるために必要なのは知識と知恵である。”

編集部からの本の企画は「ですます調で、語りかけるような文体で」だったそうだ。つまりこれは会話だ。コミュニケーションの基本はキャッチボールだと私は思っている。本にもいろんな種類、人がいる。ひたすら剛速球を投げてくる人もいるし、玉を優しく転がしてくる人もいる。なんとなく猫になった気分になる。ごろごろ球に飛びつく。楽しい。

でも、基本的には相手とキャッチボールする気がないと、投げる側がわかりやすく誠意を持った球を投げても、何もつかめない。不思議なもので、その時にならないと受け取れない球というのも存在する。人間同士のやり取りなので、まぁそんな事もある。

雑誌の記事は読んだかもしれないが、前に著者に出会ったのが7年前だ。その当時からは想像もつかないようなことが色々あった。今改めて遭遇して、おそらくボールはキャッチした。キャッチして、私はどうしたいんだろうな。と、ぼんやり考えていた。

存在も知らなくて図書館で適当に引き抜いた本だった。それ自体は私はよくやる。六法全書以外は大体読み物と成立しているし、大体何かしら訴えたいから本になっている。それを引き抜いて見るのは、街中を歩く人を眺めているのと一緒で飽きない。知らないものは知るのは楽しい。生物なんてブラックボックスだから知らないに際限がないし、図書館は騒がないのも魅力だ。読書が好きなの?どの本がオススメ?と聞かれると困る理由がこれなのだろう。「どの人間との出会いがオススメ?」と聞いているようなものだ。そもそも私は読書しているつもりがない。今の私には本書は読後感がよかった。

いち病理医の「リアル」

いち病理医の「リアル」

  • 作者:市原 真
  • 発売日: 2018/02/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
図説「死」の文化史(マイケル・ケリガン

「死」とは何か。人はいつ「死んだ」と見なされるのか。古代から現代までの死生観と弔いの歴史を宗教や慣習と共に紹介している本。比較的読みやすい、かなぁとは思うが、図説とある通り写真や図も多い。遺体や葬儀の写真や絵も当然あるので、だめな人はだめなんだろう。だめな人は読まないだろうから、大きな問題ではないだろう。うん。

メインはヨーロッパなど大陸の話がメイン。アジアなど仏教が広がった地域に付いては記述が浅いが、世界史的に着目される国を古代から現代まで順に押えている印象。どんな宗教感や死生観は勿論、文化や埋葬、葬儀についてかなり詳しくまとめてあり興味深い話だった。文化史とある通り、文化に大きく着目している。宗教や死生観だけではなく、気候なども関わってくるも面白い。喪に服す期間が日本より長い国もあって驚く。しかも、過ごし方や服装にまで厳格に決まりがあって、日本は本当に宗教に対しての存在感が薄いのだなぁ……と思った。また、神々への供物にされたり、身分の高い人の供に埋葬されたり、当時において奴隷が大切な資産であった事がわかる。

近代と西洋における遺体の扱いに付いては、解剖学の発展に付いてを齧っていたので、ある程度の知識があって読み解くことが出来た。元々は宗教により遺体の損壊や腐敗を恐れていたが、段々と火葬を容認する流れになっていく。現代になれば墓はもう古い。墓などといったフレームは不要だから、故人との思い出の場所に遺灰をまこう。自分が亡くなったあと、自分を思い出してもらうイメージをコントロールしたい世代にとっては、その方が魅力的だとされた。しかし、その習慣が一般的になることによって、新しい問題が起きる。スタジアムに遺灰をまきたい人が殺到し、誰を受け入れ、誰を拒むのか問題になった。スタジアムやファミリー向けキャンプ場など、移転や別の近代施設になるとき、遺灰をどうするのか難問にも直面する。また、骨は当然石灰なので、自然環境にまけば土壌を変えてしまう恐れが出てくる。火葬は大気を汚染する、土葬に戻せば死体防腐処理で使われるホルムアルデヒドが自然環境に影響を及ぼす。処刑方法の歴史にも通ずるものがあるが、クリーン、衛生的な綺麗な死を追い求める。歪みのようなものを覚えた。

現代の技術では、ゲノム研究で人は不死を手に入れるのか?クローンは?来世の技術に思いを馳せる。しかし、今のところ死は避けられないという事実に従うしかない。死の歴史は遺族への慰めにならないが、人は死に伴うあらゆる恐怖とともに、死によって豊かになってきた。そう、著者の意見をまとめて本書は終わる。

日本では鬼滅の刃が大ブームになった。実は、私はあの漫画をきちんと読んだことはないのだが、映画は観にいった。あの映画は人の死を描いた漫画だと思う。鬼の名前は感染症の名前が由来だとも聞いて、ははーなるほどよく出来ているなぁと感心したものだ。上弦の鬼たちはあの大正の世では理不尽までに死ぬ病ばかりだ。

映画で”老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊い”と、不死への誘いをきっぱり断るキャラクターに作者の死生観を見た気がした。どうしようもなく人は死ぬ。しかし、そのあとに引き継がれる思いもある。これは見方によっては惨いし、とても怖い漫画だとも思うのだが、この作品がさらっと子ども達にも受け入れられ、世間で絶賛されているのだからすごい話だ。

本書を思い返せば、メメントモリやその日を摘め、死の舞踏など、人によって死は普遍で昔から身近なテーマなのかもしれない。しかし、多くの人は豊かな時には豊かな状況しか見ない。終わりや死を見つめるのは貧しい状況が多いと私は思う。それならば、今の日本は想像よりずっと貧しいということを示しているのかもしれない。

図説 「死」の文化史

図説 「死」の文化史

 
図説 監獄の歴史 監禁・勾留・懲罰(ノーマン・ジョンストン)

人が人を裁く「檻」はこうして進化した。教会の独房からアルカトラズ刑務所まで、監獄の変遷をまとめた本。比較的古い本で出版2002年。監獄のベース、城の地下や井戸、教会の独房から、近代の活動で何を考えられどのように進化したのか。冒頭に著者は刑罰の歴史において、投獄に使う施設の歴史は往々にして陰気でつまらないと述べている。過去には有名な監獄に対してのみスポットを当てる研究はあるが、歴史全体を述べる書籍は少ない。私自身も個々の歴史や近代のみなどスポット的な書籍に目を通したことはあるが、このように全体を述べた書籍はなかったと思う。本書は出版年数こそ古いが、監獄の歴史全体を振り返り知るにはよい資料だと感じた。

図説とあるが、いずれも古い資料であることなどもあり、図説と呼べるほど鮮明な図ではない。ただその時の世界観や状況を推察する一つの資料にはなっている。相応にマイナーな本であるようなので、情報が更新された書籍があれば目を通してみたいと思った。

背幅が3cmあるので実質鈍器。睡眠不足のときに読むと、とてもよく眠れる。うん。

陰気でつまらない……せやな……わかる……

図説 監獄の歴史―監禁・勾留・懲罰

図説 監獄の歴史―監禁・勾留・懲罰