紙めくりて

本と文具好きのオタクがクリア冬のコスメで右往左往するブログ

2021.2.27 読了後の本感想走り書き

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読了後の感想走り書き。

葉っぱはなぜこんな形なのか? 植物の生きる戦略と森の生態系を考える(林将之)

タイトルに惹かれて。うん確かになんでこんな形なんだろうな?

本書は、人気の樹木図鑑作家が初めて書いた、植物と自然界にまつわるエッセイ集。

著者はてっきり植物学者の本なのかなと思ったら植物図鑑作家だった。本書内でも著者が触れているが、植物学の専門知識は殆どなく全て独学。筆者の情熱は理解出来るのだが、タイトルから期待した「葉っぱに特化した内容」ではない。幼少期の原体験から、ひたすらそれだけを突き詰めたさかなクンの植物バージョン。違うのは、彼とは違い学術的なベースはないところだ。よって、本書の大部分が筆者の個人的見方になっているのが少し勿体無いと感じた。その方向で著書を作るなら、もっと筆者の経験に基づく、葉っぱのスキャンの取り方や整理方法など著者にしか書けないことを書いた方が面白かったと思う。本書内の葉っぱの写真が白黒写真で、よくわからない葉っぱ占い?や葉っぱ心理学?などのプチコラムがフルカラーページなのは、さっぱり意味がわからない。

本書の中で著者は”もし僕に師匠がいたなら、某の知識の大半は師匠の知識だったろうし、故に自分だけで判断するのが不安で、何かある度に師匠に確認を求め、本を書くにも、情報発信するにも、すべて師匠の許可が必要で、図鑑作りを生業には出来なかったに違いない”や”知識は荷物になる”と書いている。

確かに研究分野において、師匠、所謂教授や上司、周囲とのしがらみが足かせになったり、歯痒い思いをすることは多くあるだろう。言ってしまえば、葉っぱがどうしてそんな形なんだろう?ではなく、それを何に生かそうか?に思考がシフトしていただろうし、葉っぱだけを追うのは難しかったかもしれない。葉っぱがどうしてその形なんだろうとわかっても、スポンサーには利益を生まないからだ。過去に読んだラボガールでぶち当たる問題がそれ。教授がいる環境にあれば研究費難にとても喘いで、フィールドワーク以外にもやることがたくさん増える。しかし、だったら文字が多い本を読まずに現場に出て、たくさん植物を見てアイデアを働かそうと考えるのは、私には自分を過信しすぎているようにも思う。この世には自分より頭のよい人間は掃いて捨てるほど居るし、どうしようもなく人の大半は凡人だ。凡人が出来ることなど高が知れている。凡人が思考をこねくり回しても、その行為自体は楽しいかもしれないが、辿り着く答えは凡人なりの答えだ。更に、本を読めば過去の偉人が生涯をかけた知見に簡単にアクセスできる時代になった。もしかすれば、葉っぱはどうしてこの形なのか。わかりやすい書籍になっていないだけで、あるところには秘伝のタレのように語りづがれていたのかもしれない。何故書籍や学問にならないのか。それは単純なことで、それ単体ではお金にならないからだろう。

幼少期の原体験を大切に、自分に正直に自分の好きなことだけを突き詰める。そういった生き方には憧れる部分はある。日本における基礎分野研究の不遇と金銭難は全くもってその通りなので、著者の選択も道の一つだ。エッセイ集だと著者が述べているのだから、これはこれでいいとも思う。が、私のスタンスとしては相反するものがあるし、青春黒歴史ノートを読んでしまったような、むず痒くもやもやしたものを覚えた。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。(川上和人)

前回読んだ恐竜の書籍が面白かったので、同著者の書籍に手を出してみた。出張先は火山にジャングル。相変わらずフリースタイルの文体。読みながら笑ってしまう。軽率に不審者になれる。論文のような硬い文章ではなく面白い。生物学の本というよりは、著者の研究活動の日記のようなエッセイのような内容。全く関係ない話をしているかと思えば、ちゃっかり鳥の話になっている。でも、例えがガンダムだったりアニメやマンガの話になっているので、例えのインパクトが強すぎる。ジョジョナウシカ……オタクだ……。アカガシラカラスバトの頭は名前の通り赤い。何故頭が赤いのか?赤と言えばシャアだ。赤い塗装は外見の似た量産モデルとの差別化に他ならない。赤は識別のための信号である。ここで小笠原にはオガサワラカラスバトという別のカラスバトの分布記録がある。アカガシラカラスバトの近縁で全身が黒いハトだ。つまり量産型ザク……だめだ。もうザクしか頭に残らない。例えのインパクトが強すぎる。

開幕3ページでツボに入った一文は”対象が異性であろうが、鳥類であろうが、憧憬の念は知識を喚起する。異性を研究しすぎた者は、ストーカーの汚名の下に逮捕されるが、鳥への興味は学問に至った。”

何を読んで、どう生きればこんな文章が捻り出せるのだろう。

私は鶏肉が好きだが、外の鳥をまじまじと見たり考えたことがなかったので、東京の代表する鳥がユリカモメだと知らなかった。もっと言うと、小笠原諸島に居るメグロが東京の固有種だとも知らなかった。本書に出てくる細かな鳥の写真やイラストがあるわけではないので、わからないものはスマホでどんな鳥か調べながら読んだ。小笠原諸島が海洋島だとか、それが哺乳類の進化にどう関わるのか。全然考えたことがなかった。私は、一時期日本の絶滅危惧種一覧を永遠と眺めていた時期があったのだが「こんなにたくさんの動物、どこにいたんだろ?山かな」と思っていた。小笠原諸島が凄いところだった。しかも、東京だった。

タツムリスティックワンダーランド……( ˘ω˘)捻れたリズムで踊りそう。何の本だったのか忘れる。鳥の本だ。

著者はタイトルで「鳥が好きだと思うなよ」と言っている。私はツンデレ美少女が頭を駆け抜けていったのだが、著者のきっかけはナウシカだった。どこに出しても恥ずかしくないタイプのオタクだ。なんだかんだ言いつつ、この手の理系は結構居る。ガンダムを作りたくてロボット研究に進んだ人はきっと少なくないし、ジャンプを読んでは聖書や各国の神話を読むし、ロックマンに憧れて掃除機のコンセントを刺す。第五人格にハマって人体解剖をやり直す。心当たりがありすぎる。

何度か触れているが、日本の研究分野は厳しい。茨の道所ではない。極貧だ。著者は研究は大盛り田舎そばと称している。鳥類学者は人畜無害とも著者は冒頭に書いているが、本書のような誰が見ても心踊る、楽しいことばかりではないのだろう。研究は実際地味で苦行な事の方が多い。著者はどんなモチベーションで動いてきたのだろうかと思っていたのだが、答えは終盤にあった。舌先三寸と八方美人、受動性。世の中は積極性が持て囃されるが、受動性を処世術として生きていく道もある。研究者にも色んなタイプがいるらしい。著者は受動的鳥学道というが、ここまで続いたのは鳥はとても面白い研究対象だったからだそうだ。本書を読んで確かに鳥は面白いと感じた。知らないことを紐解くのは興味がそそられるし、実際楽しい。わからないことがたくさんある生物は楽しいと改めて思った。