紙めくりて

本と文具好きのオタクがクリア冬のコスメで右往左往するブログ

2021.03.12~03.19 読了後の本感想

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低気圧と偏頭痛。

自律神経に媚びないスタイルの世界。可愛いけど憎らしいね。まだ令和3歳だから許す。

アタマがみるみるシャープになる!!脳の強化書(加藤俊徳)

日常の習慣をほんの少し見直すことで出来る66通りの新しい脳の鍛え方を紹介した本。著者は1万人以上の脳画像を分析してきた医師。経歴が凄いのだが会社を立ち上げたり、著書も何冊か出している。結構昔に書店で見かけたが、なんだかんだ読んでいなかったなと思って手を出した。

本書では脳を働きを8つの脳番地に分け、それぞれの具体的なトレーニング方法が紹介されている。脳科学は難しい内容なので、一般向けを意識しているのか全体的にエビデンスは薄めな印象。1内容見開き1ページで紹介されていてサクサク読める。言ってしまえば内容が薄いとも言う。サクサク読めるので、ちょっとした空き時間に休憩として読むにはいい。2章以降はトレーニング内容の紹介のみなので、1章で紹介している脳の鍛え方の理屈部分のみつまみ食いするのもあり。トレーニング内容は普段自己啓発本脳科学本を読んでいると目新しい内容はない。ただ知っていてもやってる人は少ないので、この機会にやってみるといいのではないかと思った。

個人的には日記をオススメする。が、それで自身の頭を鍛えているのかと言うと自覚はない。私は自分の心理面へのプラスのために書いている。自己肯定感ド底辺なので「わーい今日も生きててえらーい」とか「お空が綺麗だな~」ぐらいのことを書くことからはじめる。後で読むと未来の自分が和むよ。

図説 化石の文化史 神話、装身具、護符、そして薬まで(ケン・マクナマラ

科学がなかった時代に、人類が化石をどう捉え、神話や儀式に組み込まれたのか。化石の歴史と神話をまとめた本。

原題は「Dragons' Teeth and Thunderstones : the Quest for the Meaning of Fossils」訳すと「龍の歯と雷石:化石の意味の探求」これをどうして「化石の文化史」などというチープなタイトルに直して出版したのか。わかりやすさか?わかりやすさなんか??日本人邦訳にわかりやすさを要求しすぎではないか。

訳自体は読みやすく、堅実で過不足ない。しかも、原著の出版が2020年10月で、本書は2021年1月出版。翻訳のスピード感がえぐい。翻訳者の狂気に近い熱意を感じる。だからこそ、タイトルにおしさのようなものを感じた。うーん、ダサい……!!!何とかならんのか、このダサさ!!!原題も中二病臭いタイトルだと言われるとその通りだと思うし、特にあとがき。中学生の黒歴史ノートを覗き見てしまったような一種の恥ずかしさも覚える。だが、内容としては面白いし、化石が空想の生物達が石に変わったものだといわれたり、化石が神話や伝承に組み込まれてきた歴史がわかる。すると、原題に納得する部分もあるのだ。それをなぜ、文化史にまとめてしまった……概ね合ってるけど……。

図説、とあるので当時のスケッチなどいくつか絵はある。しかし、本書には化石に付いて科学的な解説や価値の解説はない。図説かと問われると首を傾げざるを得ない部分もある。文しかないかといわれるとそうでもないので、図説、なのだろう。図説と言われると、もっと解説が欲しい気もするが、それは本書の趣旨ではないのだと思う。恐らく「図説」は本書出版時に足されたタイトルなので、それを本文中に求めるのはおかしいのだろう。センスが来い。

動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話 生き物たちの終末と進化の科学(ジュールズ・ハワード)

生き物は何故、死なないように進化できないのか?

生き物に共通して訪れる「死」を見つめ、大きな連鎖の中からその死が果たす役割について考えていくエッセイ本。中表紙(?)遊び紙(?)がレースのような透け紙で、面白いし、こういう遊び紙を入れている本最近あまり見ないので楽しい。ここで「わーちょっと可愛い!」と和むのだが、本体は難解な鈍器。

本書のテーマを扱うにあたって、著者はまず冒頭で”デス・サロン”なるものに出向く。胡散臭いこの上ないのだが、中身は様々な死に付いてひたすら向き合う集いだ。もうこの時点で面白い。なんだそれ面白いな。

原題は「Death on Earth : Adventures in Evolution and Mortality」訳すと「地球上の死について。進化と死すべき運命の冒険談」だろうか。あんまり訳に自信がない。本書も邦題がダサいな……と思って読み始めたのだが、これがまた本当に死ぬ気で死と向き合っている。読み進めると「あれ?これで合ってる気がする」などと思い始めてしまう。ちょっと悔しい。だが、全体的に邦訳自体は残念ではある。元々難解なテーマをより読み解き難い訳をしていて、読み難さの加速が止まらない。読み辛い部類の本だ。

本書には、何故生物は個体の寿命を伸ばすように進化しないのか?この部分への明確な解の提示はない。強いて言うと、本書では”死とは、さらなる生命が誕生する通過点だ。新しい種は、死があってこそ生まれる。現存する種は、死によって支えられている。絶滅した種は、その死によって記憶に刻まれる”とある。死を通過点と捉えるのは面白いなと思う。日本だと宗教観的に肌に合わないかもしれない。それでも死を研究している学者たちも、紙の上で死を理解出来たとしても受け入れがたいと感じるそうだ。人間は多くは死を理解出来ていないし、本能的に死が怖い。

本書のエピローグには、著者とある若者とのやり取りがエピソードとして紹介されている。若者は著者の講義を聴き”だからってどうなんです?”と尋ねる。生命に何の意味があるのか?何故死ぬのか?と問う。その時の著者は上手く答えられなかった。だが、本書を書くにつれて当時とは異なる返答が出てきたそうだ。”「きみは、この惑星のうえで最高の特権を持っているヒトの一員なんだよ。だって、ほかの生き物と違って、生命の意味を見つけようとしているんだから」自分なりの意味を見つけることが出来る。自分の人生を意味あるものに出来る。自分の死も少しよいものに捉えられるのではないか?”

私は、ヒトが優れているとも、地球で最高の特権を持っているとも、動物の中でも上位の存在だとする捉え方も嫌いだ。聖書では当たり前に出てくる肌感覚だとも認識している。だが、ヒトは集団だからこそ強いのであって、単体ではポンコツだ。動物の中でヒトが優れていると認識しているのは、壮大な勘違いだと思っている。しかし、何故生きているのか。何故死ぬのか。これを考える自由と理由は、恐怖の感情を持つヒトの特権だとも思っている。

本書は全体を通して、読み解くのが大変な鈍器だ。且つ答えもわかりやすく提示されていない。しかし、何故生き物は死なないように進化できないのだろう?と思いを巡らせたい人には興味深い本だと思う。

リベラルの敵はリベラルにあり(倉持麟太郎)

「我々が政治に無関心でも、政治は我々に無関心ではない」

政治は貪欲で常に我々を「調達」しようとしている。このことに自覚的になり、政治を乗りこなそう。その時の羅針盤として機能すべき、現在風前の灯である”リベラル”な価値観を再生するための企てが本書である。

表紙にはこう、本書が紹介されている。うーん、その通りだと思うが、些か厳つい。

さらには帯に”石破茂氏 推薦!「健全な民主主義のための努力が、ここにある」宇野常寛氏 推薦!「この書名にイラッと来るのなら、民主主義を諦めたほうがいい」”とまである。率直に言って、引く。よく読んだな私。なんで読んだのだろう。過去の私がリストに放り込んでいたので、そこにあったから読んだのだが。なんで放り込んであったのか、今となっては疑問だ。

こわ……日本語話してくれるかな……表紙から和やかに喧嘩腰だ。

原題と大きくかけ離れ、わかりやすさだけを優先した表紙も耐え難いが、これはこれで厳つくてしんどい。そんなに構えられると全く読む気が起きない。しかも新書とは思えない分厚さで、タイトルがリベラルなのにアイデンティティから話が始まる。スタートラインが遠すぎる。物理的にも内容的にもハードだ。

勿論、要所要所でなるほどと感じる指摘もある。また、著者は左派の中ではかなり話の通じる人だとも思う。とはいえ、選挙を軽視してるように読める記述が散見された点は気になる。私は日本の政治や選挙は比較的よく出来ていると評価している。ただし「よく出来ている」と「改善すべき点がある」は論点が別だと思っているだけだ。

私は所謂支持政党がない若者に分類されるのだと思う。政治に興味がないわけではないが、支持もしていない。投票先は消去法。ただ、ある権利をどぶに捨てるのはしゃらくさいので選挙には成人してから欠かさず行っている。投票所は山下りないとなかったが、なんだかんだ言ってちゃんと行っていた。出さなければそこにいないのと同義だ。権利はあるので最低限「私はここにいるぞ!お前らのこと見てるからな!」と叫ぶぐらいはしている。その程度の距離感だ。

本書を読んでの全体的な感想は、よくわからんである。リベラルは何か。著者の中での混乱もあるし、解釈も偏っていると感じた。だが同時に、著者の主張は左派の中ではかなりまともな方だとも思う。建設的で議論をしようと最低限している著者の姿勢は評価出来るし、大切なことだ。

ただ、何が伝えたいのかさっぱりわからん!

何が言いたいのか要点を整理して、中立な視点を持っている人間に推敲してもらってくれ!

リベラルの敵はリベラルにあり (ちくま新書)

リベラルの敵はリベラルにあり (ちくま新書)